「人に踊らせといて見てるだけなんて悪趣味だと思わないの?」
テーブルに戻ってオールドファッションド・グラスに注がれた酒を飲みながら綾が文句をつけている。
「観賞に耐えるんだよ、おまえは」
「ふんっ」
「おれだけじゃないぞ。周りで見てるやつなんかいっぱいいるよ。おまえが気がついてないだけで」
スティーヴの言うのを聞き流しながら、綾はテーブルの上のパッケージから煙草を一本取り出すと火をつけた。
「綾」
「ん?」
「さっきの話だけどさ」
「何の話?」
「怒ってるだろって話」
「ああ、うん・・・。別に。たださ」
「何?」
「スティーヴにはスティーヴのプライヴァシーがあるだろって話だよ。ぼくだって子ども扱いされてからかわれるの、いい加減やだもん」
「からかってるって・・・」
「だってそうだろ。ぼくだってもう二十三にもなってるんだし、昔みたいにガキ扱いしてからかうの、そろそろやめてよ」
「・・・・・」
綾の言うのを聞いて、全く、こいつだけは救いようがないガキだな、とスティーヴは呆然としている。未だに彼女が可愛くて仕方ないという彼の気持ちを、子供扱いしているからだと思っているらしい。
「綾」
「え」
「ちょっと内緒話」
「何?」
「耳貸せよ」
彼女が何も警戒しないで顔を近づけると、彼はそのまま肩を抱き寄せて唇を重ねた。綾は逃げようとしたのだが気がつくのが一瞬遅かった。力で勝てるわけがないから、しばらくの間彼女は身動き出来ないままスティーヴのするのに任せているしかなかった。けれどもやっと彼の腕から解放されて正気を取り戻したとたん、綾は彼をひっぱたいた。それこそ思い切りである。
「からかうなって言ったとこだろっ」
「子供扱いするなと言ったくせに」
スティーヴはいつになく意地の悪い言い返し方をしてきた。綾は言い返されるということに慣れていない。逆らわれる、ということにもである。彼女のような育ちの人間にとってそれは最も耐えられないことだ。
綾はもう何も言わずにソファを立つとフロアへ歩いて行ったが、テッドとジーンのテーブルの前を通る時、綾は彼に声をかけた。
「つきあってよ、テッド」
何があったのか見ていた彼はジーンに苦笑して見せ、椅子を立つと綾のあとを追いかけた。二人がフロアに行ってしまうとジーンはスティーヴのいるテーブルまで歩いて来た。
「見事にふられたわね」
「どういたしまして、だ。畜生、あのシャム猫っ」
ジーンは笑っている。スティーヴは珍しく本当に腹を立てているようだった。
「かけてもいいかしら」
彼女は彼の横を指さして言った。
「え、ああ、うん」
そこにいるのがジーンなのに改めて気づいてスティーヴは少し気を取り直した。
「綾って本当に綺麗よね。東洋人なのに肌だって純白。化粧もしてないなんて信じられないわ。あれをビジネスの世界に置いとくなんてもったいない」
スティーヴの横にかけながらジーンは綾の方を見て言った。それへ彼は呆れたように冗談口で答えている。
「まあね。外見と性格のバランスが取れてないのが問題だけど」
「でも、外見だけならダンサーで充分稼げるわよ。女優になんかなられたら、あたしそれこそ自信なくしちゃう」
綾は踊りながらスティーヴとジーンが話しこんでいるのを視界のすみに捉えていた。
― ふん、そらみろ。すぐに別の女見つけるくせに。
「妬ける?」
「え、なに?テッド」
「スティーヴとジーンさ」
綾は当然即座に否定した。
「誰が」
「ほんとなんだぜ。ジーンがスティーヴに惚れてるっての」
「え・・・」
「ところがスティーヴはあんたに夢中ときてる」
「冗談だろ」
彼女はしばらく考えているふうだったが、やがて言った。
「いい話じゃない。それならあっちはあっちで放っとけばいいってことなんだ」
「そりゃ、まあ・・・」
「ねえテッド、ぼくのこと好きなんだろ。だったら今ここでキスしてくれない?」
「それこそ冗談。スティーヴに殺されるよ」
綾は微笑して言った。
「一緒に死んでやるからさ」
言うと彼女はテッドの肩に両腕を回した。
「本気で言ってるわけ?それって」
「決まってるでしょう」
ちょうどそれはジーンと話しながらスティーヴがフロアに目をやった時だった。
― あの、小悪魔っ
彼の表情が一瞬で変わったのがジーンにははっきりわかった。
スティーヴが基本的には穏やかで優しいのは友達なら誰でも知っていることで、気のいい性格なのも本当である。が、もともと感情の動きかたが人一倍激しいのも事実なのだ。とにかく思いこみがものすごく強いし感情が深い。綾こそ本気にしてはいないが、十年近く彼女ひとりに夢中なのがいい証拠だ。
― どうせ親の血だってのはわかってるが、ひとの目の前でうろちょろと気に障るマネしやがって。ウォルターのことを気に病むまでもない。今だってあいつが誰とつきあってるかくらい知ってるさ。十七も年が離れてて結婚までしてる男と恥ずかしげもなく。何がガキだ。娼婦にも劣る。
ジーンが止める間もなかった。彼はソファを立ってフロアまで歩いて行くと綾の腕をひっつかんで有無を言わせずひきずるようにしてそこから連れ出した。周囲の目も何もあったものではない。
「やだ、痛いじゃない、離してよっ、スティーヴってばっ」
「わめくなっ」
しばらくして外に出て来るとスティーヴはさっさと前を歩き出した。
「待ってよ。なんなの、急に怒って」
「うるさい」
「送るって言ったくせに」
「送ってるだろう。キャブ拾うんだから文句言わずに着いて来い」
「さっさと先歩いて送るも何もないんじゃないの」
「黙って歩け。悪ふざけにもほどがある」
綾も確かにやりすぎたと思わないでもなかった。自分のことなんかすっかり忘れた様子でジーンと笑って話しこんでいるスティーヴに腹が立ってしようがなかったのだ。
「悪かったよ、あやまるから」
「何をだ」
「だからさ、身内で恥かかせるようなマネして悪かったって・・・」
スティーヴは信じられなかった。彼が怒っているのは恥をかかせるようなマネをされたからだと綾は思っているらしい、ということがである。天使か悪魔か本当にわからなくなってくる。
― ああ、そうか。天使ってのは堕っこちると悪魔になるんだっけ。
そのあとタクシーを拾ってロングアイランドの綾の屋敷に着くまでスティーヴは一言も口をきかなかった。綾もそれ以上言いようがなくて黙っていたが、家の前に着くとスティーヴに一緒に降りてよ、と言った。
「なんで」
「とにかく降りてよ。うちの車で送らせる。ちょっと話あるんだから」
綾が有無を言わせない調子なので仕方なく彼は一緒に降りてタクシーを帰した。格子細工の高い垣が門の左右に際限なく伸びていて、周辺一区画はこの邸宅の敷地だから人影はまるでない。
「話って何?」
「まだ怒ってるの」
スティーヴは深く嘆息して答えた。
「いいや」
「本当?」
何故怒っていたのか改めて説明した方がいいだろうかと道々彼はずっと考えていた。が、他の男となら寝るくせに、どうしておれのことだけはいつまでも友達扱いしかしてくれないんだ、と、キスひとつであれほど怒るくせに、どうして相手がおれじゃなくなるとああも簡単に受入れてしまえるんだ、と言ってみたところで殆ど負け犬の遠吠えである。こんなに想っているのに、どうして振り向いてくれないんだ、などとは言う方が理不尽には違いないのだ。
「ほんと」
彼が答えると綾は微笑した。そういう表情をすると彼女は今でも少女の頃を思い出させるくらい罪がなくて無防備な様子になる。いったいこいつが二人もの要人をものの見事に弾丸一発で仕留めた張本人だなんて誰が信じるだろう。もちろんそれが綾にとって初めてのことではないのも彼ほど知っている者はないのに、時々信じられなくなる時があった。
けれどもスティーヴが綾から離れられない第一の理由は綾のその性質そのものにある。自分の歩いて行こうとする道に不要な物があれば自ら取り除く。大切なのは彼女自身の意志であって、それを曲げようとする者は何だろうと許さない。そういう性質の強さが彼女の外面の整った美しさに生命を与えている。本当に美しいということは造形の上にはなく、その精神性に根ざしてこそ本物と言えるのだ。けれどももし綾のそうした強い精神性が単に子供の恐いもの知らず、駄々っ子のわがままだったらスティーヴだってこんなに夢中になったりはしないだろう。綾のはあくまで全世界に絶対的な概念など存在しないという真理に基づいて、それを再構築しようとする壮大なスケールの意志力だ。そしてそのために死力を尽くして戦わなければならないことも彼女はよく知っている。
スティーヴはその意志があらゆる概念を破壊しつくして構築する世界を見てみたいと思っていた。それが楽園か、それとも煉獄か、どちらにしてもそれは歴史の迷宮の向こうにあるものだ。
綾をそこまで堕としたのはその類まれな才知と、そしておそらくは二人といない不道徳な父親だとスティーヴは思っている。たとえ言葉で語られることがなくても加納修三の持っている思想性が恐ろしく危険なものであることが、少なくともスティーヴには分かる。彼は自らの意志を具現するためなら全世界を破壊することさえ辞さないだろう。既存の上に構築が不可能なら彼は必ずそうする、少なくともしようとするに違いない。
ともあれ目の前の綾はどんなに手を汚したとしても代わりに肖像画が老いたというあの美しい青年のように会うたびに輝きを増し、それがスティーヴをより強く捉えて離さない。魅入られるというのはこういうことかな、と彼は思いながら言った。
「綾」
スティーヴは愛しくて仕方がないという顔で彼女を見ている。しかし、綾はそれにまるっきり気づいていない。
「はい」
「ボディ・ガード料くれないの」
それへ、一瞬目を丸くしたあとで綾はくすくす笑い出した。
「いいよ、何?」
「キスひとつだけ」
「・・・・・」
「謙虚だろ」
綾はちょっと首を傾げたが、次に仕方なさそうに頷いた。スティーヴはそっと彼女を抱き寄せると、まるでこわれものでも扱うように優しくくちづけした。
Book1 original text
: 1996.10.15〜1997.1.15.
revise : 2008.12.8.
revise : 2010.11.29.
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