Magazine Workshop Top

Copyright Information ★ 著作権に関するお願い

at lunch with bryan ferry

hors d'oeuvres in new york, main course in london, dessert in paris. james truman shares a table in three countries with an elusive emigré

オードブルはニューヨーク、メインはロンドン、デザートはパリで。ジェームズ・トルーマンが3国にまたがって風変わりな国外放浪者とテーブルを共にした

 

Interview by James Truman * photography Andrew Macpherson

1987 Arena 6

Translated by Ayako Tachibana

 

「イタリア」 ブライアン・フェリーが言っている。「イタリアで思い出すのは...」

「今夜のスペャリテについて、ご案内申しあげます」、こちらはウエイターだ。

「イタリア」

「アスパラガス。本日は軽いビネグレットソースでご用意しております」

「暗鬱なところだよ、全く」

「ルコラ、エンダイプとラディッシュのサラダ」

「陰気、悲惨、それから絶望」

「新鮮なサーディンもお楽しみ頂けます」

「イタリアというのはね、ぼくにとって最期の地として理想的、最終章に相応しい場所という気がするんだ。」

「それから3種のパスタ・シペシャル」

一晩中、この調子で続きかねない。 IL CANTINORIはニューヨークでもそのへんのお手軽なスパゲティ屋とはワケが違う。ウエイターはスペシャリテの案内のために少なくとも10年はドラマ・スクールで修行を積んでいるだろうと思われるほどだ。しかし自己流であるとはいえ、フェリーの暗鬱のアリアも半端ではない。それは折にふれて幽かな皮肉が含まれた自己憐憫、嘲笑、そして巧妙なからかい、そういったものの漠然とした渾淆だ。彼はそれに大変長けているし、それを楽しんでもいる。英国芸術においては、ひとつの文脈にあまりにも多くの示唆が含まれているため、不躾であることはもちろんだが、直接的な反応は不可能であると言っていい。このことが彼を夕食を共にするのに楽しい相手にしている一方で、インタヴューの対象として実にとらえどころがない人物にしている要因でもある。

また、それは既に次のアリアにおけるテーマをも形づくっているのだ。ほんの数時間前、彼は新作"BÉTE NOIRE."の仕上げを終えたばかりである。それはより革新的であるとは言えないまでも、前作"BOYS AND GIRLS"同様、豊かな表現に富んだ作品で、元来は短距離走の如く短期間での完成を意図されていたものだった。ところが例によって20000マイル耐久マラソンのような、2年もの時間を費やす結果となってしまったのだ。

「そして今や国際的にプレスが注目しているというわけ」と言って彼は笑って見せた。その横ではルコラ、エイダイプとラディッシュ、それにこの季節の最もポピュラーな彩りであるレタスのサラダがサーヴされている。「この2年というものの大部分、ひとつの作品のことだけを考え続け、話すことと言えばそのことばかり、ウンザリするには十分だね。おかげで出来上がる頃には、それについて話したいという気持ちはすっかり消えてなくなってしまってるよ。2年ごとに再創造を繰り返すというプレッシャー、...レコードがもっと早く仕上がるようなら、ぼくはまだコンサートをやる気力も残ってるだろうし、もっとカンタンで楽しいだろうな。だけど最近では、ぼくは全精力をレコーディングに注ぎこんでいるわけで、出来上がればすぐに次をどうするか考え始めてる。今のところ今度は、ぼくとマイクとアコースティックギターをフィーチャーしたものにしようといった具合でね。」

「ギター弾けるの?」

「いや、ただギターとそれからハーモニカ、そういうバスク的なアプローチが気に入ってるって話。」

「それより"BÉTE NOIRE"の話だよ 」

「そうね、うん。18ヶ月外国暮らしを続けたのさ。LAで曲を書き、ナッソー、パリ、南仏でレコーディング、そしてニューヨークで仕上げという始終旅暮らし。移民神話を探検し続けていたとも言えるかな。新しく知り合った人たちとコラボレートして。マドンナと仕事をしていたパット・レオナルド、以前スミスにいたジョニー・マーとか。」

「どういう経緯で?」

「ワーナーの誰かが言ってきてね。彼の作品をテープで送って来たんだ。それでぼくがスタジオに会いに出かけて...、ありきたりで退屈な話だろ?」

「もっと面白く出来ない?」

「じゃ、ホントは、おそるべき伝染病を撲滅するためにナッソーに出向き、それからエクアドル行きのクルーズ・シップに飛び乗って野生動物の脅威を解消するためにガラパゴス諸島で下船した。そこで誰と出くわしたかというと、ジャングルで斧(原文axeには「楽器」の意味もある)を巧みにあやつっているジョニー・マーだったと、その方が面白いかもね。...実はロバート・シェルトンの書いたボブ・ディランの伝記を読んだんだけど、それでディランは大ウソツキだったって分かったんだ。全く驚くべき大ウソツキ。自分のことについてはおおよそ全てでっちあげてたんだよ。よりアピールするように生まれた場所からしてそうなんだから。ある程度はぼくもそういうことをしてたかしれないけど、結局そういう作り事もいずれは自分に同化してくるものなんだってことかな。ただ、ぼくはいつでもそのことで非難されてたけど、彼はうまく逃げ延びたみたいだね。それでぼくはもっと大胆になるべきだったかなと思うようになりつつあって、だからもしまだ興味があるなら言うけど、ぼくはニューキャッスルの近くへなんか行ったこともない。実はヒマラヤでメス狼に育てられたんだ。」

「そう言えば、ロジャー・ムーアの後のジェームズ・ボンド役をオファーされたってウワサは本当?」

「マネージャーが打診を受けたのは本当。でも向こうが本気だったかどうかはぼくには分からないよ。出かけてって大Cubby(*訳注1とちょっと会うくらいは考えないでもなかったんだけど、丁度前のレコードを作ってる最中だったし、それにどうも主旨が見えなくてね。ボンドなんて...、ミッキー・マウスと大差ないよ。人生は短いんだし。」

「ボンドものって好きでした?」

「いや。いつもディテールが気に入らなくて、フィルムの編集され方だの、キャストの女の子だの、大げさで芝居かがったところとか全部ね。ちょっといい加減にしてくれない?、みたいな ! 」

「どんな役だったら、自分でやってるところを想像出来るのかな?」

「"The Scarlet Pimpernel"なんかはいいね。それか"クレオパトラ"とか、ブレイク・ダンスバージョンなら。それから"リチャード3世"、これは全くぼく向きだと思うよ。だけど残念ながらぼくは自分が映画界でゴールデン・ホープになれるなんて夢にも思ったことはないんだ。それにどちらかと言えば低予算で作る作品をやりたい方だし、...そうだな、ジェームズ・ボンドでもポルノ・バージョンだったら考えてみてもいいかな。」

 


フルハム方面へケンジントン・ハイストリートを車で流していると、フェリーは彼のおんぼろBMWのスピードをゆるめ、あまり大きくはないテラスハウスを指さした。

「あれが昔住んでたところ。ロキシーが初めてのセッションをやったところだよ。ブライアン・イーノがばかでかいテープレコーダーを担いでよろよろ階段を登ってたり、アンディ・マッケイがオーボエ片手に歩き回ってたり。50代にさしかかろうとしてる時に20代を振り返ってるんだからね、...すごく昔のような気がするよ。」

「当時、それはどういう意味を持ってたのかな」

「成功へのステップ、だっただろうね。それから旅の可能性。ずっと続く旅。今いる場所から脱出して、世界を見出す。」

「前途有望な若者であるということの喜びとか?」

「うん、もちろん。実際にそういう言葉は使わなかったけど。始めは大きな仲間意識みたいなものがあって、そのおかげでいろんなことがやりやすかった。臆病にならずに済んだし、それにぼくには自分が新しいことをやっているという確信があったよ。例えそれが既にあるものをコラージュすることだったとしてもね。それでぼくらはいつでもルールなしという仮定のもとに進めていたんだ。もしくはルールは自分たちで作るか。そういうのが凄く楽しかったな。」

 

 

★「タルト・ア・ゴーゴー」と、フェリーは 近くのテーブルでサーヴされているその晩のスペシャリテを、それとなく教えてくれた。我々がフルハムのパーク・ウォークを歩きながらNo.11というイタリアン・レストランに向かっている途中、どういうつもりだったのかは分からないが、「ブライアーン」と酔っ払いの一団が歓声を上げていた。

彼はアイルランドでの休暇とパリでのビデオ撮りの合間を縫って、数日間ロンドンに戻って来ている。「国を離れてると、英国について、とてもロマンティックなイメージを持ちがちになるね」、と、皿の上のウズラに取っ組みながら彼は言った。「パリにいて、レイディオ4で"ザ・アーチャーズ"なんか聴いてると、最もつまらないイギリス的な特性さえ、シュールで魅力的な側面のように見えたりするんだよね。イギリス人は、物事の微妙な点や含蓄というものだとか、ばかげたユーモアをとても楽しむし、二次元的でなく三次元的なものの見方をするところがある。でも戻って来ると何か楽しむことを妨げようとしたり、楽しんだことに罪悪感を持たせずにはいないイギリス人の狭量さに改めて気づくことにもなるな。どういうことかと言うと、説明するには北部と南部の違いについて話す必要があるんだろうね。でもともかく、ぼくはケン・リヴィングストンに興味を持つ一方で、Hailsham卿にも興味があるということさ。ある部分でぼくはたぶん左翼的なんだろうけど、同時に一方ではかなりアナーキーなところもある、というね」

「階級意識に苛まれたことなんかあった?」

「いや。ぼくは自分ではある種のアーティストだと感じていたから、それでやっていこうとしてたね。ロンドンに来たばかりで下積みをやってた頃は、生活のために一日中パーク・レインを往復するバンの運転手をしていたんだけれど、そういえばロールスが近くにやってくるたびに割り込んだりして楽しんでたのは覚えてるよ。」

「モーターサイクル・ギャングの仲間に入ったことは?」

「プールホール・ギャングならあるけど。仲間はみんなぼくより年上だった。スタイリッシュな赤いスーツや粋な靴のテディ・ボーイズって感じのね。」

「カルト的な集まり?」

「そんなものかな。いきなり5マイルとか10マイル離れた街まて出かけて行って、土地のパプでケンカを始めたりとかね。ぼくはそういうはパスしてたけど。家で宿題やってたよ。」

「撃ち殺してやりたい相手のリストなんて作ってる?」

「撃ち殺すとか毒を盛るとかじゃなく、どちらかといえばもっと陰険なのが好みだな。じわじわと苦しめる、みたいなね。だけどそういう相手はめったにいないよ。年々、数も減ってるし。どうやら気に入らない人間を締め出すのがずいぶん上手くなったみたいだ。出来る限り丁重に無視するという方法でね。」

「知らない人たちから、どのくらい理解されていると思う?」 

「不思議と、ぼくには分からないんだよ。全く。特にそれが気になるということもないし。特定のイメージに囚われるのはイヤだったから、あれこれの型にハマるっていうことは本当にウンザリすることだったんだ。特に、ぼくが見せなければと考える中でも、驚くくらい小さな部分だけがいつも取り沙汰されるようになってると気づいてからはね。今じゃみんなぼくが一日中座ってランボーでも読んでると思ってるんじゃないのかな。だけど実際、仕事以外で一番興味があるのはスポーツだよ。子供の頃はサイクリングに夢中だった時期があったし、稼ぐ端から自転車に注ぎこんで、いつの日かツール・ド・フランスで優勝することを夢見ていた。子供っぽい成功の夢だったけどね。今でも自転車レースを見るのは好きで、レース場をうろつく方が専門になってるけど。冬のクロスカントリーなんかは特にいいね。雨の中で選手が泥まみれになってる様子は、なかなか美しいよ。」

「他に人生の楽しみは?」

「そうだな...、マティス、ピカソ、ただぼくは普通、あの程度の自尊心から生み出される作品というのは好みじゃないけどね。それからディケンズ、言葉が豊富だから。ライダー・ハガード、ああいうロマンスや冒険が気に入ってる。ジミー(ジェームズ)・キャグニー、ボブ・ディラン、は、もうぼくからは信用されてないけど。カトリーヌ・ドヌーヴ、グレース・ケリーは特に。地獄の黙示録。古いモーリス・マイナーのクルマ、新しいシトロエン、マリア・カラス、不幸な境遇の人物というのに惹かれるんだ。ヴィスコンティの「豹」、...こんなふうに自分の好みを言いふらすのは全く好きなことじゃないんだけど。」

「いいでしょう。では文明における頂点とは?」

「給料日! 2年もの間、1セントの見返りもなしに、湯水のように出てゆくばかりなんてことになってごらんよ。どんなに入って来るのが待ち遠しいことか。」

 

 

★デザート、それはナシのタルト (une tarte aux poires)で、パリのBAL D'ISÈREに来てやっと現れた。医者に過労と診断されて、フェリーは一週間の休みを取ることになったのだ。そういう事情で、彼はこのフランス的妙薬ともいうべき機知に肯定的だった。

「レコードを作るのに、もっと時間がかからなければいいのにと思うよ。」と、彼は言う。「先へ行くほど、これまでやって来たことに更に上乗せしようとするのが大変になっていく。それでますます形になるのに時間を食うようになるんだね、妥当だと感じられるようになるまで。今では世界中あちこち回りながら仕事するなんて贅沢も出来るけどさ、たまにそれが手の込んだ命取りのように思えることもあるよ。」

「フランスの女性はみんな、パケットを腕の下に抱えて歩いてるね。あれって、すごくエロティックなものを感じるんだけど。」

「そんな話、振ったってダメだよ。あのね、ぼくはフランス人のエロティシズムに対する寛大さが好きなんだ。一日2回、バケットを買いに行くというのにも賛成だな。人生に対する愛があるよ。最大限に楽しもうという。どうせ食べなきゃならないんなら、手の込んだやり方を楽しまないテはない。もっとあってもいいと思うよ。」

 

*注1 great Cubby ・・・ 007シリーズのプロデューサー、Albert R. "Cubby" Broccoli (1909-1996)のこと。亡くなるまでに同シリーズ17本を手がけている。「Cubby」は人気漫画のキャラクターだが、彼のニックネームでもあった。

2005.5..-2005.7.18.

revise / edit 2007.4.25.+5.1.

Copyright Information ★ 著作権に関するお願い

The intention of this site is purely enjoyment and for providing information about the band ROXY MUSIC. Though credits are given as long as it is possible, if you are the owner of any of the artwork or articles reproduced within this site and its relating pages and would like to see them removed, please contact Ayako Tachibana via E-mail. Your request will be completed immediately. Or if there is no credit on your creation, please let me know. I'll put your name up ASAP. Anyway the site owner promise to respect the copyright holder's request seriously. I hope visitors also respect those copyright and please do not use the articles and artwork illegally, 

このページ及び関連ページにおける画像、記事は、あくまで個人のホームページにおいて、文化振興を目的に掲載しておりますが、著作権者のご要望があれば直ちに削除いたしますのでメールにてサイト・オーナーまでお知らせ下さいませ。著作権者様のご理解を賜れれば、これに勝る喜びはございません。また読者の皆さまにおかれましても、著作権に十分ご配慮頂き、商用利用等、不正な引用はご遠慮下さいますよう、宜しくお願いします。