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Darkness Falls : Ferry in the Confessional by Allan Jones Melody Maker, September 16th 1978 Translated by Ayako Tachibana
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ブライアン・フェリーは部屋の向こう側に座っている。遅い午後の陽光が造る淡い闇が、その姿を翳らせていた。 我々が前作"In your mind"の最後のセッションの間にエア・ステュディオで会う機会があってから、そろそろ2年が過ぎようとしている。会話が進むにつれて夕闇が深まりつつあったが、フェリーの気分も以前会った時の楽天的な雰囲気から遠ざかっているかのようだった。また私も、前作がリリースされてからこれまで彼が辿ってきた長い道のり ― 後のロサンゼルス滞在と、風刺のやり玉にあげられたり、酷評に晒されたりといったこの2年 ― に思いを馳せている。 「ぼくはずっと、嫌われてるんじゃないかなってことは分かってたけど」、私がここしばらくのあれこれの彼に対する中傷について話題を持ち出すと、彼は暗い顔で答えた。「でも、もしかしたら憎まれてるんじゃないかとまで思うようになったのは、ごく最近のことだよ。そりゃ気分のいいことじゃないけれど、耐えられないってほどでもないね。憎みたければ、どうぞご勝手に。そんな連中はぼくには必要ない。そういうヤツらはいなくてもやってけるって確信は十分あるし。ぼくは自分が、今ロック・ミュージックの範疇で仕事をしてる他の誰にも引けをとらない、いや他の誰よりよくやってると思ってる。それが分からないんなら、言っちゃなんだけど連中は全く大バカってことだからさ。」 「昨今、そこそこ程度の才能なのに実力以上の高い評価を得てるなんてことはいくらもあるんだし、ぼくが自分の評判をマジメに気に病む理由なんてないよ。どんなに自分がよくやってるか知ってるもの。ぼくは自分の作品に対する最も厳しい批評家だし、ぼく自身以上に厳しい目でぼくの作品を見てる人間もいないしね。だからぼくはいわゆる評論家という、その実、殆どは視野の狭い、無教養なバカものでしかない連中に対して注意を払おうと思わないんだよ。そう、ホントにぼくはよくやってる。自分の中でそういう確信が消えない限り、必ず続けてゆくだろうね。ま、そういうわけだから、どなたも皆さんお好きなように、ってこと。」
★The Moving Target ブライアン・フェリーにとって今はなかなか大変な時期である。70年代において最も影響力を持ったロック・バンドのひとつを生み出した当人である彼も、今では敵意を抱いた、好意的とは言い難いあらゆる批評家たちの標的となっているのだ。ロック・エリートの中でも、彼はいつも非難を受けやすい存在であったようで、その高すぎる理想や知的な大望だとか、洗練された態度だの性質、奇抜な着想、そして常なる優雅さ、そういったものが嘲笑を誘うということもしばしばあった。 彼の才能は時おり低く見積もられたり、不承不承評価されたりして来たように思われるが、それは多くの人が彼のプレイボーイ的なイメージや洗練された世界への傾倒、そういったものの方に注意を集中したがったからだろう。またその成功がしばしば過小評価されたのも、単に時代の勢いと並行して世に現れたものだったからに過ぎない。ロキシー・ミュージックは殆どのバンドが否応無く経なければならなかった発展的変革のプロセスを頑として受け付けずに来のだが、それが後に急激に軟化し、ポピュラー・ミュージックへ変貌を遂げつつ、メディアやオーディエンスにもてはやされることを楽しむようにもなっていった。 その反動は避けがたく、間を置かずに訪れる。フェリーのレコードが好評を博している限り、彼は比較的、非難の対象にならずに済んできた。しかし数年前にロキシー・ミュージックが終焉を向かえた後、彼はソロ活動に力を入れ始めたのだが、それからかつての商業的幸運は致命的なまでに動揺し始めたのだ。"In Your Mind"は殆どのロック市場で成功をおさめたものの、アメリカでは一時的なインパクトすら齎すことが難しかった。米国のオーディエンスはロキシーの絶頂期でさえ、それほどの関心を示さなかったし、フェリーのソロ・プロジェクトに対しても熱狂的な反応を示して来たとは言い難い。 しかも英国でリリースされた最近のシングル2枚、"What Goes On"、"Sign of the Times"が不成功に終わったことは、これまでのファンからさえ見捨てられたことを物語っていた。評論家たちがこの金曜日にリリースされようとしている彼のニュー・アルバムに評価を下すべく、てぐすね引いていることは想像に難くないだろう。 ペニー・バレンタインによる"The Bride Stripped Bare"についてのレヴューが、この号のどこかに掲載されていることと思う。これはここに限っての私の見解であるが、このレコードは(シングル)リリース直後に引き起こされた反感や、鳴り物入りの商業的不成功にもかかわらず、認められるべき美点を含んでいると私は思う。それはボウイの"ヤング アメリカン"を彷彿とさせる、絶望の中にも自己を励まし前進しようとする者の荒涼とした心象だ。しかし、この点が同時に批判の対象にもなるのかもしれない。私はそう考えているし、ブライアン・フェリーもまた同じだろう。(訳注 : "What Goes On"、"Sign of the Times"は、"The Bride Stripped Bare"からのシングルカット。アルバムより先にリリースされている。)
★I Am Curious : Mellow 我々はウエスト・ロンドンにあるサイモン・パクスレーの家に来ている。彼は以前はロキシー・ミュージックの"メディア・コンサルタント" であり、最近では"The Bride Stripped Bare"におけるコ・プロデューサーの一人でもある。フェリーとパクスレーはフォト・セッションを終えて来たばかりで、パクスレーがあれこれ動き回っている側で、フェリーはワインの瓶を抱えて床に腰を落ち着けた。なんとなく世間話のような具合で彼は英国内の変化について話し ― 帰国して数か月ということでもあるので ―、それからロサンジェルスに対する自分の反応について感じたところなども語ってくれた。どうやら、ご機嫌は悪くないようだ。 我々は先の英国内ツアーの後に始めたワールドツアーについてちょっと話題にすることから始めたが、それは取りも直さずその後のカリフォルニア滞在の前置きでもあった。彼はツアーが全く不成功に終わったというウワサについては神経を尖らせていて、一方ではアメリカが特に彼の存在を熱狂的に歓迎したわけではないということを認めながらも、それについては強く否定した。 「正直に言うとね」、と彼は言う。「あのツアーでは、ひと財産失うハメに陥ったんだ。ギグはどれも殆どうまくいったんだけど、アトランティックがツアーをサポートしないという酷い問題を抱えてしまって、それが中傷を引起こしたというわけ。向こうの言い分は"In You Mind"にはシングルになりそうな適当な曲がないので、その決定を下したということなんだけれど、それもおかしな話でね。レッド・ツェッペリンで大変な成功をおさめている会社としては、ね? ツェッペリンは普通、シングルをリリースしないじゃないか。アトランティックはホントはぼくにツアーをキャンセルさせたかったようで、でもそんなことをしたらもっととんでもないことになってたよ。ぼくは当時、これをアメリカでの成功のキッカケにしたいと本当に願っていたから、ものすごく失望させられたな。」 彼が言うには、そのツアーのせいで物凄く疲れてしまって、回復のために元はそこで2、3ヶ月過ごそうとロスへ向かったのだそうだ。「でも結局、6ヶ月も滞在することになってしまったんだ。」と回想的に彼は言った。「LAには何人か離れ難い人たちがいてね、そのせいもあるかな。」彼がベル・エアの贅沢なパーティーを泳ぎ回って楽しんでいたと一般に言われているのとは正反対に、着くとすぐに"The Bride Stripped Bare"のための曲に取り掛かったのであるらしい。 「生まれつきナマケモノでね。でもいつでも実際の、もしくは仮想の締め切りを自分に課するようにはしてるんだ。いつだって仕事のことを考えてるよ。まったく、本当にそれは避けられないプロセスというもので、なのにどんどん分かって来たのは、誰もそのことにちゃんと気づいてくれないということなんだ。いつだって姿が見えないと決まって、レコードだろうとツアーだろうとね、みんな何もやってないんだろうと思ってしまうらしい。だけど、そういうものじゃないんだよ。これでも四六時中働いてるんだから。いずれ作品に育って、レコードとして世に届くはずのアイデアの閃きを求めて、さ。ぼくにはそれが、いい加減にやり過ごすにはあまりにも魅力的な仕事だってこと。分かってくれるかな?」 ロサンジェルスは、始め妙に異世界めいて感じられたと彼は言う。そこに友人は何人もいたが、音楽業界の知り合いは殆どいなかったからだ。ただ興味深いことに、彼は友人のヘンリー・エドワーズを通して知り合ったティモシー・レアリーと、最終的には大変親しくなったそうである。(エドワーズは以前ロスでロック・ジャーナリストをやっていて、当時は映画のサージェント・ペッパーに携わる一方、レアリーの本も書いていた。)また彼は、ロスという環境について、曲を書いたりレコーディングしたりする気分を促進してくれるという点と、それでいてその怠惰な空気は致命的に意気を阻喪させるという点とを挙げて、その価値をあいまいに断じないままにしている。 創造のエネルギーを得るためには、一生懸命に仕事するしかない、と彼は言い、「それにまったく異邦人という感じがしてね。そういう雰囲気は、まあ言えば、それまで感じたことがないくらい内省的な気分にしてくれたよ。そこで知り合った殆どの人とは遠い気がしてたし、一時的に皮肉な見方をするようになったりとか。魅力を感じる人間というのは、そんなに多くはなかったな。実際、とてつもなく無責任な人たちがロスにはいて、特に映画人ね。それが一番つきあってた世界なんだけど...」 「もうひとつLAで不思議なのは、社交のための場所というのが極端に少ないこと。ナイト・クラブ向けの土地じゃないね。3つか4つくらいしかなくて、誰もそこには行かないんだ。そういう所は一般に時代遅れと考えられていて、一応チェックは入れてみたけど全くその通りだったよ。そういう事情だから、おのずとパーティーにばかり出かけるようになる。どこかで誰かが何かしらやってるから。マリプでの集まりだの、ベル・エアのガーデン・パーティだの...。」 そうすると、貴方の中で快楽主義的な部分は引きつけられたんじゃないですか? 「ああ、うん、そりゃあね。」彼は笑って、「すごく魅力は感じたよ。だってぼくはこれまでもずっと、そういうあちこち探検して回るようなことが好きだったんだから。モノ書きってものは、生まれつき好奇心が強い生き物だろ。そのせいで、そうでもしなけりゃおよそ関わることがないような世界にクビをつっこもうとしてきたわけだし。違った世界の人たちの様子を探検してみるためにね。社会的な経験については、制限を設けないように努力してるんだ。そうしない理由なんて思いつかないし。」 彼はロス滞在中、ベル・エアでも特に洗練された一郭に家を借りて住んでいた。「LAの基準では趣味のいい家だったみたいだよ。スペイン風の造りで、屋根はピンク・タイル。以前はレスリー・キャロンが住んでたんだってさ。まあもちろん、あのあたりの家はどこでもそういう血統書が付いてるんだけど。全く辺鄙な所でね、そうしようと思えば何日でも、偏屈なメキシコ人の庭師以外誰にも会わずに過ごすことも出来た。」 私はそういった種類の恵まれた環境が、結果的に圧迫にはならないかという気がしたが、確かにその通りだったと彼は認めた。いったんそういうステイタス・シンボルとも言えるエリアに居住するようになると、その目新しさは次第に損なわれいゆくものだ。「だけど、楽しんでなかったフリをしてるわけじゃないんだよ。ぼくはそんなカッコつけじゃないから。それに確かにそんなふうに周囲から遊離するのは、なかなか悪くないことだったし。実際、ぼくはロサンジェルスがとても気に入ってた。ヨーロッパの人間なら、殆どは驚かされるんじゃないかな。映画発祥の地なんだもの、そういうノスタルジーにはいくらでも浸れるよ。とは言え、ずっと住めるような土地というわけでもない。6ヶ月もすると、ヨーロッパの暗鬱な雰囲気が恋しくなり始めたし、ロスと対照的な気候や風土が懐かしくなって来たんだから。」 (ロスについては)1曲書いただけだが、L.A.が作詞者としての彼に与えたある種の影響は("The bride stripped bare"から)切り離すことが出来ないようだ。その曲とは"The bride stripped bare"の中でも特に悲痛な印象を与える"Can't let go"だが、彼はこの曲を「L.A.についての傑作。あのアルバムはL.A.に関するもので、この1曲に集約されるものなんだよ。...全く暴力的なまでに曖昧な土地でね。あんまり安穏としてるので、かえってぼくはよく苛々させられたものさ。自分が北部育ちの反逆者のように思えて、実際、自分ではそう思ってるんだけど。」言いながら彼が笑って見せたので、その言葉の皮肉で大げさな響きは和らげられた。そして、それが彼のロスに関しての最後の言葉であると知らせたのである。 アメリカで自分の考えを押し通すのに随分苦労したと言っていたのを読んだという話をすると、彼は笑って肯定した。マネージメントとアメリカでの契約レコード会社であるアトランティックは、「アメリカらしい」レコードを作れと随分しつこかったそうだ。 彼は、リチャード・ペリーと何度も話し合いさえしたと回想する。けれども頑として譲らなかったのだ。 「そういうのはさ」、と彼は続ける。「全くお断りなんだよ。誰のだか分からないようなアルバムを作るなんてことには、なんの興味もないね。ああいう人たちってものすごく影響力があるから、逆にある意味、そういう人たちと真っ向からやりあいながら作ってみたら、どういうことになるか面白い結果が出たかもしれない。だってぼくは絶対に誰の言いなりにもなるつもりはないし、彼らときたらどうしても自分たちのアルバムを作らなきゃおさまらないんだから。リチャード・ペリーとはよくテニスをしたよ。彼はなかなかうまいプレイヤーだ。だけど絶対ぼくのアルバムをプロデュースさせるなんてことはしなかった。プロデュースを誰かに任せきるなんて考えることも出来ない。ぼくは、どんなプロデューサーにとっても最も難物だろうと思うよ。なにしろ何をやりたいかってことについて、はっきりした考えを持ってるんだもの。しかも自分のアルバムは必ず誰のとも違ったように聴こえないと気が済まないときてる。」 今回のアルバムは最終的にはモントルーで録音された(そして後に、ニューヨークで一部サイモン・パクスレーを交えて再録されている)。英国系アメリカ人のミュージシャンたちを起用し、その中にはあるジャクソン・ブラウンのセッションで紹介された、リンダ・ロンシュタッドのギタリストでもあるWaddy Wachtelも含まれている。型破りなリード・ギタリストの選び方をしてますよね、と矛先を向けてみると、「確かにね」とフェリーは即座に答え、「ああいった抑えのきいたLAの音楽というのは全くぼくのスタイルじゃないんだけど、ウデのいいギタリストを見つけるのには苦労しない所だし、それにウォディがニール・ハバードと競演するという考えは、なかなかだと思ったんだよ。」 このアルバムの制作は、差し迫った当時の気分に流されがちなものだったと彼は述懐する。その暗鬱に沈んだトーンは、シーズンオフの静寂で寂寞としたモントルーという環境によっても特に強められていたようだ。「音楽を作る以外にやることはないような毎日だった。気をそらすものは何も無かったしね。これまで作った中で一番風変わりなアルバムということになったんじゃないかな。ああいうモントルーの雰囲気も独特だったし、そこにこのミュージシャンの一団がいて、まるでエベレスト登頂を目指す、みたいな。ホントに"Men Without Women"て曲のような感じで」、彼は笑って、「出かけてって、そこにハマりこんだってことかなあ。なんて言ったらいいか、表現しようとすると困るんだけど、これまでの中で音楽的に最も深く動かされた経験だったと思うよ。孤立と孤独、そういうものに魅せられたような、ね。」 モントルーでのセッションでは、ゆうにアルバム2枚分の作品が収録できたと彼は付け加えて言ったが、最終的に曲を選ぶ段階になって、このプロジェクトにどこか納得のいかない部分を感じるようになったらしい。 「出来上がったと思ったとたん、不安になって来たんだよ。例えばちゃんと相応しい曲が選べているかどうか、というようなことがね。イギリスに帰ってくると、ますます変更の必要性を感じるようになった。本当は半年前にはリリースしたかったんだけど、十分に納得のゆかないものを発表するというのは、ぼくにとってとても居心地の悪いことなんだ。今となっては、それで正しかったと思ってる。これは特に際立ったアルバムにしたかったから。実際そうなんだし。だからもちろん、いつものことだけど、つまりはBGMに良いようなアルバムってわけじゃない。ぼくのレコードは、絶対そうはなりえない。聴く人にはそれで満足してもらわなきゃならないわけで、でもアメリカではBGMになるようなのが好まれるんだね。それが成功へのカギとも言えるかな。」 「だけどぼくはそういうのに興味がない。特に今、このアルバムはね。まあ言えば、いろんなスタイルや雰囲気の渾淆として成立させたかったんだ。タイトル(マルセル・デュシャンの作品から取られたものだが、)に応じた芸術的意匠を調えるにも...、というのは元々の Bride Stripped Bare という作品は、様々な変わった要素にそれぞれモチーフを与えて一面に散りばめたもので、ぼくにとってこのアルバムは、全くその通りのものなんだからね。アイルランド民謡が入ってるかと思うと、初期のメンフィス・サウンドや、アル・グリーン、それにルー・リードの曲もある。ずっとルー・リードの曲はやってみたかったんだよ。ヒトの曲をやるのも好きだから。聴くところによると彼もこのバージョンが気に入ってるらしいって話だし。」
★All About Bryan 「"The Bride Stripped Bare"は、」とフェリーは言明する。「たぶんぼくが作って来た中で一番大切な、そしてとても個人的なアルバムなんだ。」 「感情的なアルバムでね」と彼は感慨深げに強調して、「レコーディングしている間に感動するというようなことはめったにないんだけど、でもこれは本モノだって感じがあったよ。今こうして随分経った後で、それについて話しているなんてなんだかとても不思議な気がするな。あまり感傷的になるのも危ないんだけど、楽器を通して表現されるプレイヤーの悲嘆というものは、なかなか深く響いて来るものでね。そういう経験はこれまでしたことがなくて、でもこれが音楽のあるべき姿だ、というような。」 私は彼のこのアルバムに対する強い確信には、いくらか驚かされた。その作品を冷笑的に中傷する連中は ― フェリーに言わせれば"ずっと増えつづけているグループ"だそうだが ― 彼がリリースをぐすぐす遅らせていたのは、作品に対する自信の無さの現れだったのではないかとほのめかしていたのだ。 彼はこれを聞いて目を丸くした。「そんなのは全く見当はずれだよ。全くもう...。ぼくはリリースしたくてたまらなかったんだから。イギリスに帰ってきたその週にはリリースしたいくらいだったんだ。ただ、絶対の確信を持てないどんなものにも、自分の名前を入れたくなかっただけだ。それでいくらか変更を加えはしたけど、今では十分に納得がいってるよ。言い訳しなきゃならないような部分はどこにもないね。ぼくは決して確信がないものを表に出したりしない。そりゃ、ぼくはこういう世界で仕事をしてるけど、だからと言ってそのプレッシャーから作品をリリースするなんてことは、ぼくはどうしたって出来やしない...」 「実際、おかしな業界だと思わない? おかげで様々な局面に立たされることになる。そもそもアルバムを作るっていうのは、創作に対する何らかの衝動を感じているからなんだけど、同時に世の人々に気に入って買ってもえるようにしなきゃならない。それで裕福になるためにはね。だからと言って、それを優先事項に据えるというのは論外で、そのプレッシャーに負けるわけにもいかないし。創作を中心に置いて信念を持ってというのは、だけど時々、失望を味わわされることにもなる。自分では自信を持って創りあげたものが、受け入れられないということもままあるわけだから。気に入らないとか、もっと単純に何らかの理由で関わろうと思わないとか。ある種の人たちは、たぶん同様にぼくの仕事に関わりたくないんじゃないかという気がするよ。」 「長いこと人前に出てなかったというのもあるかもね。みんなぼくがこのアルバムを作ってたなんて知らないし、ぼくの方がオーディエンスを見捨てて、誰かのヨットで楽しんでたとでも思ってるのかもしれない。」 フェリーはこの最後の言葉を苦々しく思っている様子で言った。それはそのパブリック・イメージが ― 彼に言わせれば ― 本来の彼からは歪められてしまっていることから生じているためだろう。昨今のゴシップコラムの状態 ― それは彼のジェリー・ホールとの不和を頂点として取り沙汰されているが、― これについての彼の感想も、沈んだ気分や深い憤りを物語っているように思える。 「ウンザリだね」、と彼は疲れた顔で言った。「永遠に続くのかとさえ思わされるよ。もしぼくが、自分をゴシップコラムで晒し者にするPRチームを持ってるとしたって、こうまではならないさ。」 「オーディエンスに押し付けられたライフスタイルに甘んじてるわけにはいかないだろ。ゴシップコラムに書かれたからと言って、それが気に入らない人間が聴衆の中にもしいるなら、はっきり分かってもらいたいのは、ぼく自身そんなことは望んでもいないということだ。実際、どんなに抵抗したことか...」 けれども、彼の中にも洗練されたファッション誌で取り上げられるのを喜ぶ部分も確かにあるのではないだろうか? 「あのね」、彼は忍耐強く続けた。「これまでもずっと、知人を通してあの世界と少しは関わりがあったんだし、ああいう業界のクリエイティヴな方面の人たちとだけど、ぼくはいつも創造性の豊かな人たちに惹かれるから。ミュージシャンの他にもそういう人たちっているんだし、だから友達はいくらもいたんだよ。そうするとパーティにも出かけて行くよね。それで書かれることもあったかもしれないけど、だからってそれが罪になるとも思えない。フットボールを見に行って、それで話題にされるのとどこが違うのかな。ともかく、そういうパーティでもしきみがぼくを見かけていたら、いつだってぼくがフォトグラファーから隠れようとしてて、決してポーズを取ったりなんかしちゃいないって気がついたろうと思うよ。」 でも、より上流の派手好きな人たちの間でウワサされるのを嬉しいと思いませんか? 「有閑階級に受け入れられたらどんなにステキだろう、なんて考えてウットリしてたことなんて誓ってなかったよ。始めの頃はどうだったかな、よく覚えてないね。当初ぼくは、あちこち首をつっこんで回ってたけど、それはより広い範囲にオーディエンスを得たかったからだ。誰もが音楽誌を読むわけじゃないんだし、だから誰でもこれから実績を積んでゆこうとするなら、どんな雑誌にだって載るのは嬉しいと思うものなんじゃない? モーター・レーシング・ウイークリーだろうと、ハウス・アンド・ガーデンだろうと。自分の世界とマーケットを広げようとしているわけなんだから。」 私としては、そういう注意を向けられることに気分が良くなかったはずはないと思いますね。強く遠ざけることもしなかったでしょう? 「確かに、そうはしなかった。たぶん若気のいたりというものだったのかもしれないけど、それが今では反作用を引起こしてるんだろうね。だけどそれって不公平だと思うよ。世の中にはそういうやり方で名を売ったり、実際、それを求めたりする人たちもいる。誰とは言わないけど、知ってるだろ? ぼくが言いたいにのはただ、ぼくはいつでもそういうところで扱われるのに積極的ではなかったということなんだ。つまり例えば、ぼくはNigel Dempsterを知ってる。パーティで会えば話くらいはするよ。だけど彼が自分のコラムであれこれ書けるように、ぼくの自宅に招いたりはしない。会えば歓談するという程度だ。退屈な組合役員なんかと話すよりはずっとマシだからね。それにしても、こんなことが全部いったい音楽とどういう関係があることなのかな。」 私は、あなたのパブリック・イメージに対するリアクションが、あなたの音楽に対する反応を先導するのは無理からないことだと思いますよ。特にそれが、あなた自身の創り上げたロックスター・イメージのようなものに対するリアクションであるからには。 「ああ、それはぼくにも見えてるよ。そういう意味では、ぼくの最近のシングルの失敗と確かに関係してるだろう。特についこの前のシングルがうまくいかなかったことについては、滅入った気分にさせられててね。ぼくとしてはそのタイトルが示す通り、今何が起こっているのかというテーマを歌ったものだったし、とても的を射たレコードだと思ってたんだ。あれはずっとぼくが、特にヨーロッパでシングルとしてリリースしたいと思ってたような曲だったし、重要なレコードだとも思ってた。でもメロディー・メーカーは賛同しなかったようだね。覚えてるよ、破り捨てたけど。一方でNMEじゃ、大絶賛だったのに...、あのメロディー・メーカーのレヴューは、ぼくの個人的なイメージを元に書かれたものなんじゃないの。曲なんかまるっきり聴きもしてないんじゃないかとしか思えないよ。」 フェリーはしばらく黙って、本誌のChris Brazierによる"Sign of the Times"の批評がほのめかしていたことについて考えているようだった。 「まったく可笑しな話だよ」と彼はしばらくして言い、「彼はぼくのプレイボーイ・イメージに拘り過ぎてるようだね。もう手におえなくなってしまってるんだろうけど...、でもロキシーはそういう、"イメージで遊ぶ"みたいなところが喜ばれてたわけだろう? それなのに今度はあるイメージを持っているからといって酷評されるなんて、ヘンだよね。」 「ヘンと言えば、いきなりニュー・ウエーブからぼくが時代遅れだとか言われるのもね。だってニュー・ウエーブそのものはあれほどロキシー・ミュージックから影響されてるわけじゃない。それにみんながもうぼくのレコードを買わないのは、ぼくのイメージが行き過ぎだからなんてのも。」 「基本的には、自分がして来たことに満足してる。確かにニュー・ウエーブと対照的だった部分もあるだろうし、少なくとも表面上はね。"Smoke Gets in Your Eyes"なんかは、ニュー・ウェーブから見れば邪道かもしれないね。そのせいで、中には極刑に値するとか思う連中もいるかもしれない。だけど、他にもぼくがロキシーでやった例えば"Street Life"、あれなんかはニュー・ウェーブ以上のニュー・ウェーブだと思うよ。少なくとも、ニュー・ウェーブにとって手本になったとは思う。だからニュー・ウェーブにハマってるくせに、それがぼくが今やってることと同じだって分からない連中がいるってことが不思議で仕方ないんだよ。たぶんロキシーを知らないか、ぼくをたまにレコードも作ってるプレイ・ボーイかなんかだと思ってるか、なんだろうなあ...。」 聞いていて、私は彼がそんなイメージを生み出したことを後悔し、過去を振り返って、ファッションの世界と不用意に接近しすぎたと考えているのだろうかと思った。 決して具体的なイメージを提供したわけではない、と彼は強く主張する。そのイメージは単に彼が作り、ロキシーが演奏して来た多様なスタイルの音楽を反映していたに過ぎない。ロック・ミュージックはずっと一次元的だったと彼は感じていて、その目的は凪いだ表面に波風を立てることだったのだ。そして国際的な新聞や雑誌が、全くそれまでと違ったタイプのロック・グループから傑出した人物が出現するのを目撃すれば、明らかに彼について書き立てないわけがない。ましてやそれが美女に取巻かれ、非日常的な場所に現れたりすればなおさらだろう。 「そしてぼくにとって面白い生活と思えるのは、そういう非日常的だったり、興味深かったりする環境の中にいることなんだ。ぼくはどんな状況にも自分を縛り付けるつもりなんかないからね。社会探検家とでも言うのかな。だけどそのことで一番自分に近いと感じている人たちから非難されるのは、本当に辛いことなんだ。そのために引きこもりが激しくなったり、批評に敏感になったりしても不思議はない。それが払わなければならない代償なんだろうけど。広く知られれば知られるほど、有名になればなるほど、ぼくのような人間は出歩きづらくなるってことがよく分かったよ。ニュー・ヨークでなら平気、誰もぼくを知らないからね。ぼくはジョン・トラボルタじゃないもの。だけどここでは限界がある。出て行けるところと言えば上流の、有閑階級と言ってもいいけど、でもそんなところで見つかろうものなら、自分のオーディエンスを裏切ってプレイボーイなんかやってるってカドで非難される。全く、夜にちょっと出かけたいと思ってもさ、いったいどこに行けばいいんだい? パブならいいの?」 「知っての通りぼくの人生は、なんでもない所から始まった。普通に義務教育を受けて、他に何も変わったところなんかないよ。だからもう行く所は上しかなかったんだ。ともかくも、社会的にはね。だけどそれは同情心を失ったり、俗物化したりするということとは違う。ぼくは本当に人間を研究したいんだ。最も魅力的な人物というのはそういう階層に集まってくるものだけど、だからと言って彼らが異邦人というわけでも、彼らから学ぶものなんかないということにもならないだろ。なのにぼくのレコードを拒絶することで、ぼくがそういう世界を探求するのを妨げようとする連中は許せないよ。」 それでもなお、今では彼が多くのスーパーグループの古いやり方と同じくらい、ニュー・ウェーブから反抗心を向けられる象徴のひとつになってしまっているという事実を見ないわけにはゆかない。 「今ではそれは商業的なハンディとして受け止めてるよ。だけどぼくは自分の行動も、やって来たことも恥ずかしいなんて思っちゃいない。ぼくを不愉快に思う連中は、これまでもずっといたんだからね。そういう人たちは、ぼくが成功しているという事実が気に食わないんだ。ぼくがシャレたスーツが好きなのも気に入らないし、ぼくが自分のやってることをしっかり自覚してるってことも気に入らないし、それって全くもって哀れな嫉妬だよね。連中はぼくが何をやろうと、どこまでも気に入らないんだろうと思うよ。」
★Night of the Living Dead ブライアン・フェリーは彼のニュー・アルバムを、本質的に「ツウ向けの音楽」と表現する。彼は全く恥ずかしげもなくそう言い切るのだが、批評家連中はそのコトバをそのまま突き返してくるんじゃありませんか、と私は指摘した。 「だとしたら悲しい話だね。」と彼は素っ気なく言った。「だけど率直に言えば、その通りだと思うよ。ぼく自身もそう思ってたから。あれを気に入って、高く評価してくれるヒトなんて殆どいないんじゃないかな。ツウなんてものが、そもそも殆どいないんだし。そうするとぼくはプラチナ・セールスに3倍する売上げなんてものは期待しないで、音楽に集中してた方がいいんだろうな。それでやってくしかないよね、よくあることなんだから。過去に生み出された素晴らしい作品の中にも、商業的に成功しなかったなんて例はいくらもあるんだ。一般的なレベルは往々にしてそれほど高くはなくて、ありふれたものの方が受け入れられやすいものだし...」 「音楽の中にも、誰もが足を踏み入れたがらない領域というものがあるね。ぼくの作ってるようなやつは、そうなんじゃないかな。深く感情に訴えてくるような音楽というのは、数は少なくても熱心なオーディエンスを持ってるものだよ。だから時々、そういう聴き手だけで満足するべきじゃないかと思うこともある。"Let's Stick Together"のような、ちょっとお楽しみって感じの曲をやってる時は、短期間オーディエンスが増えるものなんだけど、そういうので覚えていられたくはないんだ。ぼくはそんなのよりもっと創意に富んだものを創り出す力があるんだから。だけどもちろん創意に富んでるからミリオン・セラーになるってものでもない。売れるのはそのせいじゃないというのも明らかな話で...、それに、今では音楽にも人生にも何もかもに関心が無くなったロクでもないプレイボーイが作っているからという単なる思い込みで、このレコードに注意を払おうとしない人たちというのもいるんだよね。」 「例えば、さっき話してたメロディー・メイカーの"Sign of the Times"批評みたいにさ。あのとんでもないレヴュー、読んだけどね、あれはホテルに一泊するのに395ポンドも払うヤツは、当然、人類についてなんか何も考えてないだろうと言ってるだけじゃないか。そういう告発に対して、いったいどう答えればいいんだか。メロディー・メイカーがああいう人材を使ってるなんて考えると、...ぼくが毎週配達したり、買ったりしてた新聞なんだよ。ぼくがホテルに一泊するのに395ポンドも払うくらいバカだと信じ込んでるような、おつむの不自由なのを使ってるなんて考えると。巻末の広告さえ書く資格はないよ。あの「ギタリスト募集、髪型は、イメージは、有能な人物」みたいなの。あれさえやる資格はないね。代理店に配達して回ることさえ、だよ。こういうことについて、ぼくはどう受け取ればいいんだろう。どこのバカが、あんなライターを雇うのか。ああ! 3ヶ月もロクでもないホテルにカンヅメになって、新しいアルバムをせっせと作ってるのに。前のや、その前のレコードよりもっとよくしようと頑張ってるのに。自分がコレと思えるもの、みんなが納得してくれるものを生み出そうと四苦八苦してるのに。」 「お定まりの"芸術とは苦悩である"って調子になってるのは分かってるけどね。だけどプレッシャーはすごいものなんだよ。ぼくはあのアルバムに全財産賭けてるんだ。バカげた駆け出しライターなんかにホテルにいくら払ったかなんてことで ― ましてや事実はずっと全然少ないのに ― 批判されるなんてゴメンだね。彼はレコードのことについてなんて書いてないじゃないか。ぼくについて書いてるだけだ。しかも誤解してる。人類について何も考えてないなんて言っておいて、タダで済ませるわけにはいかないよ。それは誰に対してだって、あまりに酷い言い分だよ。」 急に始まった手厳しい反論、― ヒステリックな調子では全くなかったが ― これは、彼が過去2年の経験にどれほど傷ついているかという印象を、より強くするもののように思える。更に言えば、その経験が痛々しい自己不信と自省の念すら一度ならず現れる"The Bride Stripped Bare"というアルバムに真っ正直に反映されているのだろう。そしてそういった気分を、フェリーはインタヴューの席にも同様に持ち込もうとしているようだ。 「すぐに意気地がなくなる方なんだよ」と彼は言う。「強い衝動とか、動機とか、そういうものは物凄く持ってるんだけど、それを表に引き出してくるには、他の誰かが夢中になってくれるようでないとダメなんだ。レコードを作っているときにそういう人間が回りにいないと、一番最初に根性が無くなるのもぼくだね。そして何をやろうとロクでもなくなると半ば確信し始めて、全部ヤメちゃおうかって気分になってしまう。でも、そういうわけにはいかないだろ? 運の向かない状態が続いてたから、LAにいる間もそんな調子だったのさ。どうしてなのかなあ、こんなに頑張ってるのに、ってね。生まれつき気分屋なんだけど、ずーっとそういう気分が続いてたってこと。ぼくの仕事を支えてくれる何者も存在していないかのような、でも、それこそはぼくがいつでも必要としているものなんだよ。」 彼は例の本誌の批判がデマに基づいた、それとも悪意から出たものであるということに特に気分を害されているようだと繰り返した。しかしそれよりもなお彼が気にかけているのは、最近のその音楽に対する世の中の ― 彼の言によれば ― 明らかな無関心の方である。"Sign of the Times"が無視されたことがよほど気にかかっているらしく、そのせいでどれほど落ち込んだかを強調していたのだ。 「どん底まで失望してるとはいかないけど」、彼は生真面目な顔で言って、「でもあれがうまくいかなかった時には、ずいぶん悲しかったんだよ。だけどこういうことは全て大局的に捉えるようにしなくちゃね。2、3曲がフロップ(訳注*出来がいいのに商業的成功を得られない作品)だったからと言って、それが取り返しのつかないような災難というわけじゃない。死亡欄を書き始めるまでには、まだアルバムがどういうことになるか見てみないことには。アルバムもダメかもしれないけど、ぼくはそうは思ってないんだ。最近のシングルが、これまでやった中で最低の結果を出したということもよく分かっててさえね。大きい反応が得られなかったことについては、特にアーティストとして失望してるけど、この場合、金の問題じゃないんだ。誰もああいうものを必要としていないという現実。でも、失意のどん底ってわけじゃないから、手首を切ったりはしてないだろ。まだ、そういう段階までは行ってないんだよ。」 「あまりに長くシーンから遠ざかってたために、オーディエンスがぼくの作品を同時代的なものとして見るのをやめてしまったってことなんだろう。希望と言えば、シングルに興味を持たなかった人たちも、アルバムでなら呼び戻せるかもしれないというくらいかな。ぼくはロキシーのオーディエンスに、大変な親近感を持っていた。それは今だってあるんだよ。失ったという感じはしないな。ぼくは今でも音楽を通して人に接することが出来ると思ってる。今でもロキシーでやったように、時代の雰囲気を捉え、伝える才能を失ってないと思ってる。」
★For a Few Dollars More 彼がロキシーに言及したからには、最近発表されたバンド再編に関して、予想されていた質問がはっきり持ち出されるのは避けがたいことだったろう。フェリーは元々はプレス先行で流れたこのニュースについて、詳しく話すのは気が進まない様子だった。彼は今までのところリハーサルはどれも非公式なものなので、メンバーはそれをプライヴェートなレベルに置いておきたかったのだと言った。「今はお互い、音楽的に何を表現すべきかということを模索してる最中なんだよ。だから具体的なことは言える状態じゃない。」 私はバンドが再編すればそれが全く商業的目的を持った動きであるとか、彼のソロ・アーティストとしての活動がどちらかと言えば不成功だったということの更なる現れであると受け取る者たちも多いだろうと指摘した。 「そういう風に考えると悲しくなるね。」と彼は言う。「ぼくはロキシーがまだ音楽的な貢献を十分為し得るものと思ってる。金のためだけに再編するんだったら、もっと違った形でやってただろう。でも今はぼくたちのプランについて、何も細かいことが言えるような段階じゃないんだ。ロキシーのアルバムをもう一枚作ろうとしてる最中なんだから。ずっとやろうとは思っていた。ロキシーは決して完全に終わったというわけでもなかったんだし。だからもし、きみの言うように、ぼくらがもう一度一緒にレコーディングするべきではないと考える人たちがいるとしたら、まあ、ぼくに言えることは、そういう連中に指図されるつもりはないってことくらいだ。また一緒に仕事できるかもしれないと思うと素晴らしいと思うしね。これまでのところ、みんな喜んでるんだよ。」 しかし再編すれば、音楽的にどのような結果を齎そうとも、あなたが自分の人気を回復する目的で動いたのだという疑いをかけられることにならないでしょうか。 「言う人もいるだろうね、確かに。だけど単に、そういう人たちは論外なんだ。ぼくの作品に本当に興味を持ってるわけじゃなく、ぼくを批判することだけが目的なんだから。そんな連中を心配してたひには、二度と何も出来なくなっちゃうじゃないか。恐がってるわけにはいかないんだよ。いつでも伸び伸びやろうとは心がけてる。今だって山ほどアイデアがあるんだし、いつだって新しいことをやろうという気持ちには事欠かないし。だからこそ今度のぼくのニュー・アルバムを受け入れられない人たちがいるだろうなとも思う。あれはこれまでで一番、個人的な感情をこめた作品だし、聴くに耐えないと思う人たちも確かにあるだろう。みんなこんなものを聞きたくないのかもしれない。もしそうなら残念だけどね。」 「未来の可能性について答える用意はしてないよ。全く考えてもいないね。もし本当に失敗に終わったら、もう一度来てごらん。答えてあげるから。ぼくは今だってここにこうしているんだから、誰もそう簡単に逃れられない。もう十分ハッキリさせただろ。もっと確実な結論が出てからのことだと思う。今言えることはこれだけだし、どうなるのか待ってみて後はその時のことにしようよ。」
translate : 2005.7.21.-22.+7.29-7.30. revise / edit 2007. 2.14. ★ 著作権に関するお願いThe intention of this site is purely enjoyment and for providing information about the band ROXY MUSIC. Though credits are given as long as it is possible, if you are the owner of any of the artwork or articles reproduced within this site and its relating pages and would like to see them removed, please contact Ayako Tachibana via E-mail. Your request will be completed immediately. Or if there is no credit on your creation, please let me know. I'll put your name up ASAP. Anyway the site owner promise to respect the copyright holder's request seriously. I hope visitors also respect those copyright and please do not use the articles and artwork illegally,このページ及び関連ページにおける画像、記事は、あくまで個人のホームページにおいて、文化振興を目的に掲載しておりますが、著作権者のご要望があれば直ちに削除いたしますのでメールにてサイト・オーナーまでお知らせ下さいませ。著作権者様のご理解を賜れれば、これに勝る喜びはございません。また読者の皆さまにおかれましても、著作権に十分ご配慮頂き、商用利用等、不正な引用はご遠慮下さいますよう、宜しくお願いします。
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