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Ferry Agonistes
"I can't submit to the whims of fans..." by Janet Macoska Trouser Press Nov.1977 Translated by Ayako Tachibana
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ロキシー・ミュージックの5人のメンバーが ― もし交代を繰り返したベース・プレイヤーを入れるなら6人だが ― 昨年になって別々の道を歩み始めることになった時、誰もそれには驚かなかっただろう。 ブライアン・フェリーはシングル"Let's Stick Together"とEP1枚を英国で出し、それらはどちらもヒットとなって、後にそれがアメリカでのアルバムリリースへと発展した。ギタリストであるフィル・マンザネラはアルバム"801 Live"を発表、オーストラリアのSplit EnzというグループによるLPのプロデュースも担当している。アンディ・マッケイはRock Follie '77 (テレビ番組) に携わり、キーボード・プレイヤーでありヴァイオリニストでもあるエディ・ジョブソンはフランク・ザッパのバンドに加わってツアーに、ドラマーのポール・トンプソンは依頼があれば誰かれとなく一緒にプレイするといった具合だ。 ともあれ、この解散状態は公式に発表されたものではないし、偶然の産物だと言っていいだろう。しかし、それは予測しえたことでもあった。ロキシー・ミュージックのこれまでの活動において、メンバー間の論争やお互いに対する不満は何度となく噂されていたからだ。そしてその非難は殆ど、リーダーでありヴォーカリストであると同時にソングライター、イメージメーカーでもあり疑いなくロキシー・ミュージックの創造者(少なくとも彼の思うところでは)であるブライアン・フェリーに集中していた。彼がバウンティ号のキャプテン・ブライの如くロキシー・ミュージックを牛耳っていると考える人もあり、彼の作品と方針決定はバンドにとって常に最終的なものでもあったのだ。ロキシーのメンバーを含む多くがブライアンの統治があまりに厳しすぎ、それはバンドの個人性や自由なクリエイティヴィティを抑制すると感じていたが、それがこうしてロキシー・ミュージックの分裂現象として現れたのだろう。 最近ブライアン・フェリーはロキシーではなく、もうひとつの(全てのメンバーが入れ替え可能な)バック・アップ・バンド(失礼、私までフェリー流の考え方に陥ってしまっているようだ)を伴って、ソロ・アーティストとしては初めてのアメリカ・ツアーに乗り出した。興味深いことにこの一時的な新生バンドのメンバーには、かつてロキシーに参加した面々が数多く加わっている。そのメンバーは彼の最新アルバムである"In Your Mind"にも顔を見せているが、それはフィル・マンザネラ、ポール・トンプソン、それに一時期ベーシストであったジョン・ウェットンなどで、更にこのスターぞろいのバンドで新しい顔と言えば、伝説的なギタリストであるクリス・スペディング、キーボードの天才でありアレンジャーでもあるアン・オデール、それに元クリムゾン・メンバーで3人のホーン・セクションを率いるメル・コリンズといったところだ。ロキシー・ミュージックが70年代において主要なバンドのひとつであることは明白だが、この新しいラインナップも多くの点でオリジナルと張り合う存在だろう。 しかしこうしたソロ・キャリアを始めるにあたっての総力を挙げた積極的な取り組みにも関わらず、ブライアンのアメリカでのファースト・ツアーは順風満帆とはいかなかった。ツアーも、それに関連する"In Your Mind"も、本来それに値するべき成功を勝ち得てはいない。レコード会社のサポートは皆無で、ブライアン自身もファンやマスコミとの接触を最低限に抑え続けていた。 だが、クリーヴランドはアメリカでロキシー・ミュージックにとって最も熱狂的な聴衆であり得るところだ (かつてバンドがこの街にやって来た時は数百というファンが空港を埋め尽くし、ロキシーは1万が入るホールを容易に満杯にすることが出来たのである)。ここではブライアンは態度を和らげ、2つもインタヴューを受けることに同意した。ひとつはラジオのWMMS局、ここはアメリカで初めてロキシー・ミュージックを流した強力なFM局であり、そしてもうひとつはこのトラウザー・プレスである。 このインタヴューでは、ブライアンのロキシーとソロ・アーティスト両面での活動について様々な方向から質問を向けてみた。ありのままを伝えるのが、一番良い方法であろう。あなたが目の前でブライアンと話しているというヴィヴィッドな印象を与えるためには、2、3か所編集上の修正を加える他は(ブライアンでさえ常に正確に話すわけではないのだ。いわんや私などは、である。)、受け答えをそのままに、出来る限りその言葉通り記録してゆきたいと思う。 インタヴューのシーンはこんなふうだ。あなたはSwingo's Celebrity Innの贅を尽くした(クリーヴランドにしてはだが)スイートでソファにくつろいでいる。ガラス・テーブルの向こうにいるのは悪名高いプレイ・ボーイ、ブライアン・フェリーだ。彼は紅茶を飲みながら、誰もが長いこと聞きたいとは思っていながら、そうそう厚かましく切り出せなかったようなあらゆる質問、時には俗な質問が混じる会話に応答している。
ブライアンは気が無さそうに始めの質問に機械的に答え、よく知られているロキシーとの、そしてソロ・アーティストとしての生活について繰返して並べ始めた。慎重に話題を誘導して彼の興味を引くことで、私たちはやっと具体的な質疑応答に入ることが出来たのである。 TP : ロキシー・ミュージックの過去、現在、それに未来については、さまざまなウワサが乱れ飛んでますよね。ある人はロキシーは単に一時休止しているだけで、いずれ活動を再開するだろうと言うし、一方ではロキシーはとうとう終焉を迎え、みんなそれぞれのソロ・キャリアに嬉々として臨んでいると言う。どうして何もかもがこうハッキリしてないんでしょうか。 BF: ハッキリしないのは、ハッキリしてないからなんだよ。活動を再開するという予定は全くないし。信じるか信じないか知らないけど、次のロキシー作品と言えば"Roxy's Greatest Hits"だってくらいで(笑)。いつでもこの話をすると自分でも笑っちゃうんだけどね。それは今年、このあとリリースされるんじゃないかな。そこでさて、ロキシーの次のスタジオ・アルバムがあり得るかどうかと言うと...、ぼくとしては全くあり得るようには思えないんだけど、でも微かに可能性がないわけでもない。それが「ロキシー解散」という公式発表が出てない理由でもあるんだよ。ただ、ロキシー・ミュージックのアルバムをもう一枚、という可能性はあるにしても、以前と同じメンバーというわけにはたぶんゆかないだろうね。"Siren"以来、みんなそれぞれの個人的なプロジェクトで手一杯なわけだし。 TP: 多くの人がロキシーの分裂はグループ内の不満や軋轢から引起こされたんじゃないかと推測してたんですが、でもフィル・マンザネラやポール・トンプソンがあなたの最近のバンドでプレイしていることを考えると、それは100パーセント真実というわけでは明らかになさそうです。ジョン・ウエットンにしてもね。 BF: うん。ジョンはロキシーのメンバーというほどじゃなかったし、ぼくのソロ・アルバムでもずっと弾いてくれてたんだ。そうだな、それとポールももちろんね。フィルはぼくがもともと思ってたほどは弾いてくれなかったにしても...。実際はある曲でリズム・ギターを弾いてくれてる程度なんだ。アンディとの間はかなり煮詰まってて、でもそれは長いこと潜行していたものがとうとう一緒に仕事したくないってとこまで浮上してきたって感じだね。グループじゃよくあることだけど。誰しもずっといつまでも一緒に活動できるものじゃないし、もしそんなことをしたら、そこにはなにか間違った目的が潜んでいるものだよ。10年も一緒にやってるグループって、お互いからどれくらい新鮮なものが得られるかとか、お互いどれくらいピンとくるものを感じられるかという点で、アーティストとしてかなり厳しいハンディを背負ってしまうんじゃないかなと思う。ぼくとしては殆ど同じメンバーで良いコンディションを保って作るには、5枚のアルバムは十分長い活動だったと思うよ。これはみんなにとって到達点と言っていいだろう。"Viva"というライヴ・アルバムがその後すぐ出てるんだけど、もし去年スタジオ・アルバムを作らなきゃならないような立場にぼくらがいたとしたらウンザリだったろうね。少なくともぼくにとってはそうだった。ぼくが作るのにウンザリしてたってことは、聴く方もウンザリしただろうし。反面、"In Your Mind"は楽しかったよ。毎日何かしら違ったことが起こってたからね。ある日はストリング・セクション、次の日はホーン・セクション、それからキダー・オーバー・ダブが来たり、そんな具合だよ。そういうのはすごく楽しいものだ。 TP: "In Your Mind"で私がひっかかるのは、あれがあなたの典型的なソロアルバムとは異なって、どちらかと言うとよりサイレンの自然な発展形、後続のような気がするところなんですが。 BF: そうだよ。曲に関してはね。 TP: ええ。他の人のではなくて、全てご自分の曲を収録したソロ・アルバムはこれが初めてだったと思います。前のソロ・アルバム" Let's Stick Together"についても伺いたかったんですが、シングルとEP一枚ずつを英国でリリースして、それからアメリカ市場のためにアルバムに発展させ、その中には古いロキシーの曲も何曲か含まれていますよね。 BF: あれのレコーディングは何年も前にやったものなんだよ。ある曲は73年、ある曲は74年、ある曲は75年という具合にね。アトランティック・レコードには4曲とシングル、つまりそれは英国でEPとシングルとして出したものだけど、始めそれを渡したんだ。ぼくはその4曲をアルバムには収録したくなくて、かと言ってシングルにしたくもなかったんで、EP形式を復活させるのはどうかなと思ってね。やってみるとすごく好評で、EPはシングル・チャートに入ったよ。[ぼくらは]以前からEPをリリースしたいなと思っていたんだけど、いざやってみた時には、まさにコレという理由があった...、4曲だとEPになるんだよ、そうだろ? ぼくがEPを再流行させて、今では次々とその形式でリリースさるようになったね。一方でアメリカのレコード業界は柔軟性が乏しいようで、EPという形式を承知しない。この国では何もかも分かりやすく厳密に分類されなければならないようだ。そういうわけでアトランティックは(EPを)リリースしなかった。代わりに「これをアルバムに出来ないの」と言って来たんだ。それで[ぼくらは]まだアメリカでリリースされてなかった曲から残りを見つけて、殆どはB面に入ったやつだけど、それを一つにまとめてアルバムになった。特にこのアルバム用にと録音したのは"Casanova"一曲だけだったよ。ちょっと変わったアルバムになったかな。でも面白いのは意図したわけでもないのに半分がオリジナルで半分がカバー、その点で丁度それまでと次のアルバムとの間の掛け橋のような存在になったことだ。おかしな話なんだけど、これが今まで作った中で一番売れたって所がいくつもあったんだ。オーストラリアじゃ一番売れて、ダブル・プラチナ・ディスクだかなんだかになったし、オランダ、スウェーデンでもそんな感じだった。アメリカからのインポートとしてイギリスのチャートにも入ったな。言うまでもなく、アメリカじゃどうってことなかったけど。シングルの"Let's Stick Together"はこれまでで一番売れてたから、ぼくらはアメリカでもビッグ・ヒットになるんじゃないかとすら思ったくらいだったんだよ。だからその結果は2番目に失望させられたことで、一番目は"In Your Mind"がダメだったことだな。 TP: まだダメと決まったものでもないですよ。結論はもうちょっと待ってみません? BF: レコード会社は4週間で諦めたよ。ずいぶん短期間だとは思うけどね。"Tokyo Joe" (アルバムからのファースト・シングル)に至っては1週間。ツアーも全然サポートしてくれなかったし。どうも相性が悪いってことはあるものみたいでさ。 TP: 他のレコード会社を見つけようと考えたりはしませんか? BF: いや、(ものすごく皮肉っぽく) アトランティックに忠誠をつくすよ、永遠に。[優雅な紳士らしからぬ笑いが微かに漏れた。] TP: クリス・スペディングの話をしてもらえませんか。ここ2枚のソロ・アルバムと今回のツアーで彼のギターを起用してますよね。どこで彼のことを知ったんですか。 BF: ああ、彼のことはもうずっと前から知ってたんだ。ぼくは彼をジャズ・プレイヤーだと思ってたものさ。ここ10〜12年ばかりの間に、彼はイギリスで最も注目すべきセッション・ギタリストの一人として評判だったからね。Mike Westbrook Bandのようなジャズ起源のバンドとよくやってたし。スタジオのエンジニアとかは、たくさんのミュージシャンを見てるだろ。珍しい人たちとプレイしてるって話は話題にもなるし、それで新顔を推薦してくれたりするんだよ。それもあってスペディングを2、3曲使ってみたら、すっかりノックアウトされちゃってさ。ぼくともとても気が合うようだったし、それで新しいアルバムではかなり協力してもらうことになったんだ。もう一人のギタリストはニール・ハバードだけど、"All Night Operator" じゃ、彼のすごくみごとなソロが聴けるよ。Kokomoやthe Grease Bandにも参加していたことがあって、スペディングとは全く違ったスタイルのギタリストだね。その対照がいいところなんだけれど、ヘヴィ・メタルっぽい音が欲しいパートはスペディングに、繊細な音が欲しい場合はニール・ハバードにといった具合で頼んで。ミュージシャンを無限の選択肢の中から選べるというのは素晴らしいことだよ。 TP: スペディングのパンク・イメージが、ステージでよく知られているようなあなたの洗練されたイメージとそぐわないようなことはなかったんですか。それとも、それも対照の妙ということになるんでしょうか。 BF: そぐわないってことはなかったね。だって今回のツアーじゃ、ぼくも革を着てたんだから!! (ブライアンが急に楽しそうに笑うので、インタヴュアーはちょっとびっくり。彼はふつうそんなに陽気ではないのに、過去のインタヴューで私の覚えているよりずっとうちとけてくれているようだった。)イギリスのツアーではね、始めぼくは明るいシルバーグレーの、フィリピンから来たハーレム風スーツって感じのヤツを着てたんだよ。ずっとぼくの衣裳を担当してくれてるデザイナーが作ってくれたもので、そりゃなかなかのもんだったんだけどどうもこのバンドにはハマらない。それでコスチューム第2案を使うことにしたんだ。シンプルなレザーのズボンにシャツっていう、"Country Life"のツアーの時に着てたのとちょっと似た感じのね。ともかくこのツアーでは音楽的にこれまでより真面目かつ率直な姿勢を見せたかったんで、ステージで着るものもその意図に敬意を表したんだよ。今回のコンサートは明らかに音楽を中心に据えたもので、それはいい変化だと思うしね。ただ、クリスのレザーの衣裳は2、3日前に盗まれてしまって、今彼はそれを着てないんだ。 TP: このツアーではソロ作品に焦点を絞っているんですか? BF: そう。これは初めてのソロ・ツアーだし、全てのアルバムにとって交差点になるポイントだからね。どのアルバムからも何曲かずつやるよ。でも始めは最近の作品を中心にした方がいいかなと思っていたんだ。だけどこれは初めてのツアーだし、初期のアルバムからも持ち出して演奏曲全体を関連付けておきたいと思って。例えばこれが2回目のソロ・ツアーなら、そういう曲はやらないで自分の曲に限っただろうけどね。というのは、アメリカでのぼくらの問題のひとつは、あまりに多様なスタイルを取り入れて来たので、かえって音楽的に具体的なイメージが出来てないということなんだよ。アメリカではイメージが音楽的なものに先行しているというか、少なくともそちらの方がより注目されてきたね。それで、なかなかミュージシャンだというようには認識してもらえないみたいだ。それに今ではぼくらは [またこの「ぼくら」という表現。彼には「ぼく」という意味と同じらしい。<*訳注参照>] 10枚ものアルバムを作って来て、それぞれ全く対照的だということもある。 ― 全てに共通した流れはあるんだけど、それが多様なように見えてアメリカの人たちを混乱させているんだろうね。 TP: あなたにとってソロ・アルバムは以前は、ロキシーのアルバムから離れての気分転換という役目を果たすものだったように思いますが。 BF: そうだよ。休暇みたいなものだったね、自分の曲を書くことからの。 TP: 勝手気ままにやれる仕事ということだったんでしょうか。ロキシーでやっていることからの休暇として機能したということは、ソロ・アルバムは何よりあなた自身のためのものだったということですよね? BF: 確かに、ひとつにはそういう根拠もあったよ。ああいう性質のアルバムがどんな風に聴こえるものなのかなと思ってたこともあるし、面白そうだとも思った。例えば2枚目のソロ・アルバム。もし24曲自作の曲があったらロキシーとソロそれぞれに十分だから、2枚目のソロも全部自分の曲になってたかもしれない。でもぼくは曲を書くのがそんなに早くないんだ。10曲書くのにも苦心惨憺するもんでね。 2枚目のソロ("Another Time, Another Place")は、ぼくにとってファースト・ソロ("These Foolish Things ")の論理的発展だったんだ。楽曲としてどれもより複雑に作りこんだものだし、何を歌っているかより曲としての聴かせ方を重視したという点でね。ファースト・アルバムでは曲の内容そのものが大事だったんだけど、だって、あれに入ってたのは誰もがお気に入りの大ヒット曲ばかりだっただろ? 2枚めのはそれよりいくらか知られていない曲を扱っていて、だから今度はそれをどう料理するかが問題だったんだよ。 TP: ソロ・アルバムの選曲についてはどうなんですか。あなたのお気に入りの曲だということは確かですけど、ご自分で歌ってそれが良く聴こえるかどうかは考えないわけにいかないでしょう? お気に入りなら何でもとはいうわけには。 BF: そればかりじゃないね。オリジナルがあまりにもよく出来てるので変えようがなかったり、自分でやっても原曲に抗すべくもないという理由で避けるものもある。逆に曲が良ければいくらでもやり方が出て来るだろうとも思ってるよ。例えば "These Foolish Things"という曲は、これまでに数えきれないくらいいろんな人がやってる。ところが"A Hard Rain Is Gonna Fall"、こちらはおそらく一回しか録音されてない。60年代や50年代の曲というのは、曲というよりもレコーディングそのものとして認識されていて、そのたったひとつの形だけしか受け入れられてないんだ。ぼくはそれに技術的なものを加えたり、誰でもレコーディング出来るスタンダード・ナンバーという考えを持ち込む ― 普通それはつまらない中途半端なアーティストがやることだけどね。― のは、面白いかもなと思ったんだよ。ぼくのような、どうしたって中途半端とは縁遠いアーティストがそういうやり方で録音する、それが冗談ぽくていいかなってね。それがいろんな国でウケたようだったんだけど、アメリカじゃダメだったな。 TP: ソロ・アルバムはロキシーとの仕事ほど緊迫してないということですね。 BF: まあ、そうだね。だってやってて楽しいんだから。責任感を背負わなくて済むし、「これがぼくの本年度の音楽的公式見解だ、これがぼくの作品だ」みたいなプレッシャーも感じないで済むし。 TP: そういうレコーディングのやり方に引け目を感じることはないんでしょうか。 BF: ないよ、全然。なぜって、ソロ・アルパムの中にも素晴らしいところがあるし、特に音楽的に聴き所はいくらもある。自分の作ったレコードを恥じることなんて、ぼくにはありえないね。今ではぼくがレコードの中でやったことで、商業的にはいいアイデアと言いかねる部分があることも知ってるけど、それでもぼくはどれにも誇りを持ってるよ。 TP: 商業的にと言えば、初期の頃、そしてあなたがより実験的な音楽を作っていた初期2枚のアルバムの頃からファンだった人の中には、あなたがロキシーをあまりにポップで営利的な方向に導いてしまったと考えている人もありますよね。そういう人たちにとっては元々バンドが目指していた革新的でアバンギャルドな方向性を、あなたが見失ってしまっているのは腹立たしいことのようですが。 BF: ぼくは今でも自分のレコードが革新的だと思ってるけどね。 TP: もし4人以上がそのバンドに目をつけたら、それはもう聴く価値はないと思うような人たちもいるでしょう? BF: ぼくはそういうのは狭量で愚かな考え方だと思う。今のパンク・ロック・シーンがそんな感じだよね。もしマニアな子供の親が「それ本当にいいね」なんて言おうものなら、いきなり焼けたジャガイモみたいに放り出して見向きもしなくなるんじゃない? そういう種類のファンには、ぼくは興味ないな。ロキシー・ミュージックにはもともとひとつの考えに固執するような狭量なところはなかった。彼らがぼくのこの先についてどんな考えを持ってるにしろ、ファンの気紛れにつきあうつもりはないよ。 TP: でも、あなたはロキシーでやって来たことを途中から意図的に修正しませんでしたか。"Stranded"のあたりから、あなたの音楽はより多くの人に分かりやすくなりましたよ。だから営利的という考えも出て来るんです。 BF: 実験的なものを作るのは世の中で一番易しいことだと気づいたんで、より音楽的になったんだよ。つまりね、明日スタジオ入りして、ぼくが風変わりだと思うような、そしてぼくにとって作ってて面白いアルバムを気ままに作るんなら、いろんな機械を使って一人でやってしまえる。だけど、それはぼくにとってあまりに簡単すぎるんだ。ましてや"These Foolish Things"をやった後となってはね。以前は知らなかった様々なミュージシャンと一緒にやるというのはなかなか印象的なことで、音楽的なものを作るということがどんなに面白いものかに驚いたよ。エディ・ジョブソンの影響もあるかな。彼はとても音楽的だし、ロキシーの中でも技術的にプレイヤーとして最も卓越している。実験的というわけではないけど、大変素晴らしいミュージシャンだ。そのふたつの理由のせいで、"Stranded"はより音楽的になったんだね。エディはあのアルバムではあまり演奏してはいないけど。 ぼくは"These Foolish Things"を"For Your Pleasure"を創り上げた後にやったんだけど、その頃には他のバンドもみんなシンセを使うようになっていた。そうなってくるとイーノがそれ以上出来ることもそんなにはない ― いや、ぼくは彼を低く見てるわけじゃないよ、間違わないで。ぼくは彼にかなり敬意を持ってるからね ― でも当時のロキシーの流れのなかでは、もう彼にやってもらうことがあまりなくなってたんだ。ぼくに向かって「ファースト・アルバムが最高だったよ」なんて言う人たちには我慢ならない。なぜってあれは最高ってわけじゃないんだから。あれが衝撃的だったのはファーストだったからで、それに似たようなものが当時どこにもなかったからだ。まだ誰も真似てなかったしね。連中がそう言うのも理解はできるけど、今更意味ないと思うよ。今だってぼくは実験的な作品を作り続けている。新しいアルバムに入れることだって出来た曲で、まだ仕上げていないのが2曲ほどあるんたけど、そのうちひとつはこれまで作った中で一番実験的なものだよ。だからこそハンパに急がせたくなかったんだ。次のアルバムには入れられるだろうけど。 TP: それについて何か教えてもらえます? 予告のようなものでも? BF: だめ。絶対だめだよ。そんなことをしたら楽しみが減っちゃうからね。出来上がる前にしたって中身のない話にしかならないんだし、だから口にするのはイヤなんだ。 [ここで前の話に逆戻り。ブライアンにはそれがとても気にかかることになっているようだ。] で、そういう人たちがぼくの今やってることを理解するのが難しいってことは分かってるんだよ。 でも"Re-Make Re-Model" とか、あのへんの曲と同じことなんだ。ぼくはあれをやってて楽しかった、それと違いはない...、あれを気に入った人たちが、どうして新しいアルバムの曲を気に入らないのか、ぼくには全くその理由が分からないね。 信念を曲げて単に金のためにレコードを作る人たちなんていくらでもいるし、ビルボードを1冊買ってチャートを見さえすればそういう人たちのリストは延々と続いてるよ。一方では作品としてすばらしいレコードで商業的にも大きく成功しているものもあって、それは全く悪いことじゃないとぼくは思う。アーティストにとって妥協しないで仕事が出来るというのはすばらしいことだと思うし、お金をたくさん稼ぐことばかりじゃなく、誰とでもその素晴らしさを共有出来るということ、それがぼくにとっては一番大切なことなんだ。多くのオーディエンスを得ることができる、だからぼくはこの世界に入ったんだよ。― ひとつには、自分の才能を沢山の人と共有し、大きなオーディエンスを得ようとすることが目的だった。そうでなければぼくはどこかの屋根裏でとてもエキセントリックなレコードを作り、毎年10人とか12人くらいを相手のプライヴェートなコンサートででも聞かせてる方がずっといい。そういうところから、ぼくは出て来たわけだけどね。フィル・スペクターは明確なアーティストとしての姿勢を示し、それで大きな商業的成功を得た人のいい例だと思う。そういうのがぼくの目標とするような成功なんだ。それはどんな時にも自分を確固として崩さないということなんだよ。 TP: ええ、でも60年代にアイクとティナ・ターナーによる"River Deep, Mountain High" を彼がリリースした時はスペクターの思ったようにはゆきませんでしたよね。マス・スケールでは受け入れられなくて、耐えられなかったんでしょう。盛り返そうと努力する代わりに彼は引きこもってしまいました。完全に挫折してしまったじゃないですか。 BF: 活動をやめるより他なかったんだよ。うん、確かにそういうことになったし、とても残念だけれども、そのことでぼくは彼を非難しようとは思わない。彼がそういう態度を取ったことを、ぼくは理解出来るからね。時々はぼくもそうなることがある。ウンザリしちゃって。 TP: ロキシーやソロ・アーティストとしてのあなたの音楽を、アメリカがなかなか受け入れないことはそんなに期待はずれでしたか。 BF: まあね。つまり、"River Deep, Mountain High" はぼくの知る限りフィル・スペクターの最高峰で、イギリスでは大きなヒットになったけど、それ以外ではどうってことなかったってことさ。 TP: 特に、アメリカでは。それが一番辛いところでしょうね。 BF: それについてはぼくは2年くらい前まで知らなかった。 TP: そうすると、アメリカをどうするつもりですか。あなたにとって期待はずれであるにしても、クリーヴランドのように熱狂しているとこころもあるでしょう? ここではあなたは受け入れられているし、レコードも売れているし、大きなオーディエンスを得ていますよ。 BF: おかしなことは今度のツアーでは、そういう熱狂的歓迎を行く先々で受けていることなんだよね。どんな広告もサポートもなしに、そういうことになってるってことで舞い上がっててね。アメリカではレコード会社は信頼のあるところにしか金を落とそうとしないみたいで、そのせいで残念ながら今回のプロジェクトには予算が足りなかったと思うんだ。イギリスではそういうことはない。少なくともアメリカほどには。 [また、あの話題に戻って] 今レコードを作ってる人たちの中で、彼らがどうすべきかについて凝り固まった考えを持っていて、それからちょっとでも外れたことをやると失望するような、10人の忠実なファンなんてものを持ちたいと思う人なんていないと思うね。 TP: あなたはご自分の音楽でであれイメージでであれ、いつでも聴衆を戸惑わせるんですよ。例えば"Viva"というアルバムでは、普通そういうライヴ・アルバムで取り上げられるのを期待するような所謂「ヒット」ではなく、どちらかと言えば知られてない曲の方を選んでましたよね。どうしてそういうことをしたのかなと、私は不思議なんですけど。"Frampton Comes Alive "だとか、最近好評な他の殆どのライヴ・アルバムは、たいてい「ライヴになったグレイテスト・ヒッツ」という感じなのに、"Viva"は違うでしょう? BF: 違ったものを作るって、いいと思うけどな。一晩きり、ひとつのコンサートにマイクをセットして録音するよりずっといいじゃない。ふつうやるようにね ― 殆どのライヴ・アルバムがそうだよ。ぼくに言わせれば、それはぼったくりだと思うけど。― ぼくらは1枚のライヴ・アルバムを作るのに3年間に渡って5つのコンサートで録音して来たんだ。いずれはそういうものを作ることになるだろうと分かっていたから。それからテープ全部を検討して、それぞれの時期でベストだと思える演奏を選び出した。ロキシーは何年もの間に変化して来ているから、最近のコンサートで録音した中からだけ選ぶのは良くないんじゃないかと思ったんだよ。最近のからは" Both Ends Burning"1曲を選んだんだけど、ベースはジョニー・グスタフソンで女の子のコーラスも入ってる。 TP: 商業的には成功しましたか? BF: いや。これまでの中で一番成功しなかったアルバムだな。 TP: 今回のツアーはそろそろ終わりに近づいているわけですが、これからのご予定は? BF: とにかく、進んでゆくだけだよ。次のアルバムはたぶんアメリカで仕上げるんじゃないかな。そして売りまくる! (笑) TP: ブライアン・フェリーはディスコ向けのレコードなんか作ります? BF: さあ、どうだろうね。ただ、アメリカでもっと過ごしたいなと思っていて、しばらくL.A.とニュー・ヨークに滞在して、そこで何人かアメリカのミュージシャンと仕事することになるんじゃないかな。まだ誰かは分からないけど、と言うのは、ぼくはまだ誰も知らないから。それもあって、次のアルバムはぼくにとっても興味深いものになるんじゃないかと思うよ。さっきちょっと言ったけど、そのうち何曲かは去年のうちに始めてる。でもそれが今後どうなるかは、先のお楽しみということになるね。 TP: これまでは知らなかったアメリカのミュージシャンと新しい環境で仕事をするために、ご自分の国の居心地のいいホームグラウンドを離れようとしてらっしゃるわけですが、こういう冒険に不安は感じませんか? BF: プレッシャーを感じるかということ? いや、自分にそういう冒険をさせるのは、いいことだと思ってるよ。これまで作った全てのアルバムは、ロンドンの同じスタジオでレコーディングしてるんだけど、そろそろ手を広げてそれがどういう音になるか試してみるのにいい時期だと思うんだ。単に違ったスタジオで仕事するという事実だけでも ― それは今までのスタジオに不満を感じてというわけじゃなくて、これまでやってみたことのない冒険だという点でね。 [ ブライアンは椅子に深く掛けなおして、生真面目な顔で認めた ] 言うまでもなく、これまでぼくらが望んだ成功を勝ち得ることが出来ずに来たのはアメリカだけだ。ここでもっと時間を過ごすことで、こちらの存在をもっと感じてもらえるかなと思うんだ。少なくとも、レコード会社にはね。まあ、そんなところだよ。
そう言ってブライアンはため息をつき、そこでテープ録音は停止された。彼はトラウザー・プレスのバックナンバーにもう一度ざっと目を通しながら、稀にロキシーかフェリーのソロに関する記事を見つけると、とても嬉しそうだった。売広告リストの中に"Sultanesque" を見つけてくすくす笑っている。私はそれがB面に収録された曲なので、どのアルバムにも入っていないために貴重だと考えられていると教え、それからスペクターの話がもうひとつ思い浮かんだので話した。フィル(スペクター)はシングルに無造作なインストゥルメンタルをカップリングするのが常だったので( 例えば ロネッツの "Be My Baby"裏面に入った "Tedesco and Pitman"のような、2分間のジャムセッション )、ラジオ局やDJはそのレコードをかけようとすると文字通り強制的にスペクターの選んだA面をかけざるをえなかった。何事も決めるのは彼で、それに彼はヒットする曲を選んだので、どんな無礼者もその決定を台無しにしようとはしなかった。 ブライアンはこの話を聞いたことがなかったようだ。彼はページをめくりながら、"Sultanesque"は「なかなかいい曲だよ、ほんとに」と思い起こしていた。それでもブライアンがスペクターと似た性質を多く共有しているのに気がつく者は、たじろがざるをえないだろう。断固としてひとつの目的に忠実で、彼自身にとって意味のある成功を目指すところ。数は少ないが高質な作品も、そして期待したような成功が得られなければ失望するところも。 ブライアンが偶像としてスペクターを無意識に見習っている部分が、その積極的な性質や成功だけに限られていて欲しいものだ。私は彼が今から5年とか10年経って、二つ三つの挫折のために失望し、セキュリティー・ガードと電磁フェンス、6連発銃に守られて隠遁している姿など想像もつかない。 ブライアンは傑出した人物であるだけに、そのようなエピローグで終わるのは相応しくないだろう。
2005.8.4.-8.7. revise / edit 2007. 1.29.
訳者注 : ブライアンはこのインタヴューの中で確かによく「we」という表現を使って話してますが、インタヴュアーはこれをロキシーだの当時の新生バンドメンバーだのという意味に限定して受け取っているように思います。しかし、訳者としてはこれはバンドメンバーの他に、彼に様々な面で助言してくれている多くのスタッフも含めてのことじゃないかと思うので、訳していて特に不適切な人称だとは感じませんでした。 ★ 著作権に関するお願い The intention of this site is purely enjoyment and for providing information about the band ROXY MUSIC. Though credits are given as long as it is possible, if you are the owner of any of the artwork or articles reproduced within this site and its relating pages and would like to see them removed, please contact Ayako Tachibana via E-mail. Your request will be completed immediately. Or if there is no credit on your creation, please let me know. I'll put your name up ASAP. Anyway the site owner promise to respect the copyright holder's request seriously. I hope visitors also respect those copyright and please do not use the articles and artwork illegally,このページ及び関連ページにおける画像、記事は、あくまで個人のホームページにおいて、文化振興を目的に掲載しておりますが、著作権者のご要望があれば直ちに削除いたしますのでメールにてサイト・オーナーまでお知らせ下さいませ。著作権者様のご理解を賜れれば、これに勝る喜びはございません。また読者の皆さまにおかれましても、著作権に十分ご配慮頂き、商用利用等、不正な引用はご遠慮下さいますよう、宜しくお願いします。
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